• 2019年12月1日

人生会議 ACPについて考察する

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)という言葉は、2000年代から徐々に広まってきました。
パッと見てもなんのことかわかりにくいため、愛称がつけられました。
それが「人生会議」です。
人生会議とは、誰にでも訪れる最期のときをどう過ごしたいかを話し合う、とても大切な考え方です。

人生の最期をどう迎えたいかをあらかじめ話し合っておこうという趣旨です。
在宅医療では切っても切り離せないものです。
では実際のところ、人生会議は医療の現場で行われているでしょうか。
人生の最期をサポートしている身である在宅医療の医師からみた実情と個人的な考えをまとめてみました。

人生会議の重要なこと

個人的な意見ですが、人生会議(最期を迎えることについて話し合う)において
以下のことがポイントと思います。

①人生会議(話し合い)がもっと広く行われるべき

②最期を想像するには、考える材料(将来の見通し)が必要

③ご家族のエゴを押し付けない

これらを解決していくためには

  • 人生会議をもっと一般的なものにして、話し合いがもっと盛んにおこなわれるよう啓蒙していく
  • 医療従事者は、この先の見通しをお伝えするべき
  • 本人の希望を最優先する

ことが重要だと考えます。
これらについて深堀りしていきます。

日本人は言わなくても察する文化がある

まず、自分もそうですが日本人はオブラートに包むことを美徳とします。
角が立つことが多いことを恐れているのか、はっきりと伝えることを良しとしません。
そのため「人生の最期をどう過ごしたいか」 を話し合うことを避ける傾向にあるように思えます。

「そんなこと縁起でもない」
「まだ自分は関係ない」

日々の診療を通して
「死」について話すことはタブーという文化が根強くあると実感しています。

いろいろな理由をつけて、いま人生会議をすることを先延ばしにするのです。

「人生会議」という言葉が広まってほしい

2019年11月に人生会議を啓蒙するポスターのデザインに批判が集まり話題になりました。
デザインの賛否は置いておいて、このこと自体は良かったと個人的には思います。

これをきっかけに人生会議ってなんだろう?
興味をもって知るきっかけになることを期待します

さらに、人生会議の内容としては、直球で言えば「どう死にたいですか?」が
「人生会議しない?」と話しかけてみることでグッとハードルが下がります。
こういうちょっとしたこともかなり大事なことと言えるでしょう。

令和元年現在では
人生会議、最期のときをどう過ごしたいかを話しあうことについてはまだまだ十分ではないと思います。
今後、もっと一般的な話題になるように広めていくことが大切だと考えます。

医療従事者は今後の見通しをわかりやすく情報提供する必要がある

「人生の最期をどう迎えたいですか?」

そんな質問をされたとき、まずは自分の最期を想像すると思います。
しかし、自分の身体の具合にもよりますが、はたしてどれくらい正確に想像できるでしょうか。

人生会議をする上で、自分が将来どうなっていくかの見通しが見えなければ
そもそも考える土俵にたてません。

医療従事者にできることは、今後の見通しをわかりやすくお伝えすること
がもっとも重要だと考えます。

本人の希望を最優先する

「延命のため治療を積極的に行っていきたい」
あるいは、
「治療はせずに自然に逝きたい」
「ただし苦しむのはなんとかしてほしい」
など、人それぞれに価値観があり、ご本人の考えを尊重することがなにより優先されます。

本人の希望を最優先する

そんな当たり前のことが難しい局面もあります。
家族や兄弟とは言え、価値観がまったく反対のこともあります。
実際、家族のエゴの押し付けではないか?と思うような場面もあります。

そんなときは
「いつでも本人の希望を最優先する」
に立ち返って考えてみるようにしています。

「人生会議」についてもっと気軽に話題にしてみませんか

誰にでも、死は訪れるものなのに、タブー視して話題にしない。
先延ばしにした結果、つけは自分と周りの家族に回ってくるんじゃないかと思います。

もっとどうしたいか伝えておくべきだった
他人事ではなく誰にでも訪れるものだからこそ、もっと気軽に話し合ってみませんか。

死について話し合ったとき、価値観の共有ができます。
あなたってそういう考えだったのね
死について話し合ったとき、もっと自分のことを知ることができます。
自分は何を大切に生きているのか

きっと人生会議は、いまの人生そのものも充実したものにしてくれることになると信じています。

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