• 2019年10月13日

高齢者の「食べられない」を考える

「食べられない」をあきらめない

「食べられなくなる」は亡くなる前に必ず通る過程です。
原因は老衰、消化器疾患、脳卒中後や神経疾患などさまざまです。
当然ですが、栄養が入らないと生きていけません。

人間誰しも最期には食べられなくなって亡くなっていきます。
食べられなくなってきたとき、そばにいる人は何を考えてどう対応したらいいのか?
今回はこんな答えのない問いについて、自分なりの考えをまとめてみました。

肺炎がこわいから絶食でいいのか?

最期の過程で、人間は必ず食べられなくなって亡くなっていきます。
これは人間に限らず動物もそうです。
医療の現場では、食べられなくなってきたときに、医師から「絶食」という指示が出ることがあります。

食べられなくなってきたときに、食事を食べさせることを禁止する

研修医の頃は、こんな風に教わってきました。

「いよいよ食べられなくなってきた頃には嚥下能力(飲み込む力)が弱っているので絶食の指示を出すんだよ。なぜなら、誤嚥してしまって肺炎になってしまうからね。」

なるほど、誤嚥(食べ物が誤って肺に入ってしまうこと)によって肺炎になったら大変だもんな。と納得していました。

多くの病院では食べられなくなるほど嚥下機能が弱ってきたら絶食にするのが一般的です。
これは、誤嚥性肺炎を起こさないようにするため、患者さんの命を守るための指示です。

どうにかして身体に栄養を入れなくてはいけない

当然ですが、身体は栄養がなくては生きていけません。

ここでジレンマが生まれます。

栄養は入れたい、けれども口から入れるのは肺炎がこわい

口から栄養をとって、万が一誤嚥した場合は肺炎になってしまいます。
それを防ぐ方法は簡単で、口から食べ物を摂取させないこと(絶食)です。

「絶食にして、点滴や胃ろうなど、別の経路から栄養を与えればいい」

これが今の医療での常識です。

たしかに、口から食べなければ誤嚥も起こさないので肺炎の危険性は減って安心です。
しかし、口から食べない状態はいつまで続くのでしょうか。

絶食(口から食べさせない)がもたらすもの

口から物を食べてはいけないとなった場合、はたしてそれは人間的な生活を送っていると言えるでしょうか。

食べることは生きる上で大きな喜びのひとつです。
その喜びを奪っていいのでしょうか。

食べることを中止したら、ますます飲み込む力は弱っていきます。

病院に入院し、長期間の絶食の末、嚥下機能が落ちて飲み込めなくなってしまった方を多くみてきました。
入院前は自分でスープやバナナを食べられていたのに、、退院したら水も飲めなくなってしまった。
こういったことを多く経験してきて、この医療でいいのかと悩むこともありました。

誤嚥性肺炎はたしかに怖いものです。
肺炎で命を落とされる方も事実たくさんいらっしゃいます。
しかし、人間いつかは亡くなります。
最期の過程で絶食にしなくても老衰で亡くなっていたかもしれません。
こればかりはどちらが正解だったかは知る由がありません。
患者さん本人の価値観や家族の希望もさまざまです。

ただ肺炎がこわいから絶食と安易に結論を出すことは避けるべき

肺炎のリスクを避けたいので絶食の指示を出すことは簡単です。

肺炎のリスクもお話した上で、絶食のリスクもお話するべきです。
なぜなら絶食によって失うものがあまりにも大きいと思うからです。
絶食にするのも、しないのも、どちらにもリスクは付きます。
だからこそ、医師としての使命は、どちらの場合もとことん話し合ってどちらを選択するべきかを一緒に考え悩む必要があると思います。

絶食がいいのか、悪いのか、その答えは出せません。

どちらがいいのか、一緒に考えていける関係を築いていきたいと思います。


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